●戦国の革命児
信長にみる創造性
~戦国の概念を一変させた天下布武のイノベーション~

信長は戦国の革命児として有名ですね。
尾張国那古野(なごや)城主の子に生まれ、青少年期は奇行が目立ち「うつけ者」とよばれたほどでしたが、家督を継ぐと尾張統一を成し遂げ、美濃の斎藤道三にも認められる存在になります。
尾張に侵攻してきた今川義元の大軍を桶狭間の戦いで破った信長は、その後、美濃攻略を果たし、足利義昭を擁して上洛すると「天下布武」への道を歩みはじめます。
関係を結んだ浅井長政の裏切りによって窮地に追い込まれたものの危機を脱し、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を撃破します。さらに石山本願寺を中心とする一向一揆など、反信長包囲網を次々と撃破して、安土城を拠点に天下統一事業を推進していきました。
甲斐の武田氏を滅ぼした信長は残された最大の敵である中国の毛利氏との対決に向けて、明智光秀を先陣に送ることにします。しかし、京都へ入った信長は、本能寺の変によって倒れ、天下布武の目標は突然断たれてしまったのです。
信長は、兵農分離による常備軍団の創設、長篠の戦いにおける鉄砲三段撃ちや甲鉄船の建造、楽市楽座の施行などさまざまなイノベーション(技術革新、経営革新)を実行していました。
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